ようこそ“もめん”です。
私は、人生の後半にさしかかりました。
65歳を過ぎると人生の終わり方を考えます。
同年代もしくはほんの少しだけ年上の方と会話していると、人生どのように終わったらいいだろうか・・・ということが頻繁に話題にのぼるようになりました。
このような話題は、ちょっぴり悲しい気持ちになり避ける傾向にありますが、意外にもみなさんあっけらかんとお話されます。
最近では、墓じまいやエンディングノートなど人生の最後を考えさせる話題がメディアでも取り上げられるようになり、高齢者の意識も変化しているのではないでしょうか。
死に対する向き合い方や考え方が変わってきているように感じます。
自分なりの人生の終わり方を考えておくことが必要だと実感することがありました。
今日は、人生の終わり方について考えていきたいと思います。
なぜ人生の最後を考えるのか
私が亡くなっても明日は来ます。
何事もなかったような日常の時間が流れていきます。
ひと一人がいなくなっても、世界は未来に向かって止まることはありません。
このようにちっぽけな命ですが、最期を迎える時は悲しくもあり、虚しさも感じます。
しかし人間は自然の一部ですから、自然に還ると考えるのが当然です。
みんないつかは死を迎えるのですから…
最近、従兄弟とおじさんの二人の最期に接することがありました。
死を覚悟してエンディングノートを書いていた従兄弟と、施設で亡くなったおじさんの二人に接して、人生の最後について考えなくていけないとの思いを強くしました。
自然に還る自分と、残される家族の双方が納得する人生の最後を考えることが大切だと思うようになりました。
今まで生きてきた人生が輝けるように、死に未来を描くことができたらなと思います。
自分らしい人生を考えるなら、自分らしい最後を考えることも重要なことだと思うのです。
なぜ散骨や自然葬に気持ちが向くのか
私の周りの人たちは、死んだら粉にして海に撒いて欲しいと言っている人が多いです。
戦後のベビーブームに生まれ、高度成長期をがむしゃらに働き、家庭を築き、土地を買い、家を建て、懸命に子供を育てた、そんな団塊の世代の人たちです。
自分のことよりも子供のことを大切に思う優しい男性陣に多いように思います。
散骨は男性に人気なのかもしれません。
死んでからも子供たちに迷惑をかけたくないからといいます。
海洋葬にしようと思う一番の理由は、死んでから子供たちに迷惑をかけたくないからという親心です。
先祖代々のお墓があって、お墓に入る予定がある人は別ですが、核家族になり、お墓を持たない人が増え、また墓じまいする傾向にあるという話をよく聞きます。
お墓のあり方やお寺のあり方が問われています。
お墓をずっと守っていくことは、子供たちに負担をかけることだと思っています
お墓に入れば、お寺との繋がりはずっと続きます。
お墓の管理料、法事などのお布施、お寺への寄付金などを子供たちに担わせることになります。
私は、特に宗教は持たずに無宗教です。
天国にいる信心深かった義母が聞いたら怒るかもしれませんが、宗教を必要と思ったこともなければ、これからも神仏を信じることはないでしょう。
私たちは、これまで人に迷惑をかけずそれなりに幸せに生きてきたつもりです。
死んでから望んではいない宗派のお墓に入り、お寺とお付き合いするよりも、自然に還ることの方が納得できることなのです。
広い海に還ることが人間として自然なことだと考える人が多いのではないでしょうか。
自然の中で心穏やかにゆっくりと眠りたいと思うのです。
散骨は、自然の一部になるという死への恐れを持たない、潔い考え方なのかもしれませんね。
元気なうちに周りの人に自分の考えや気持ちを伝えておこう
今、巷では人生会議が問題になっていますね。
人生会議という考え方自体は悪いことではないと思います。
「自然なかたちで自分の考えを周りに伝えておこうよ。家族と話し合おうよ。」というメッセージが伝われば良かったのではないでしょうか。
メッセージの伝え方に問題があったように思います。
自分の意志とは関係なく治療を受けているご高齢のおばあちゃん、おじいちゃんがいらっしゃいます。
看護師から見て、この年齢にしてこの辛い治療は、本当に必要なのかなと疑問に思うことも多々ありました。
ご本人が納得して治療を受けているのであれば良いですが・・・・
家族の意向だけで、ご本人の気持ちが反映されていないのであれば、ご本人のための治療にはなっていないように思います。
親の考えを子供に伝えておくことが大切だと思います。
親の方から積極的に伝えることが、親にとっても子供にとっても双方が気兼ねなく自然に会話できる最善の方法だと思います。
どういう生き方をしたいのか、どういうふうに死んでいきたいのか。
死んだ後はどういうふうにして欲しいのか。
ということを親が自分の考えをどんどん発言していくべきだと思っています。
そして子供だけでなく、兄弟、親戚、近所の人や関係がある人にも日頃から考えを伝えておきましょう。
生まれた者は必ず死を迎えるのです。
死ぬことは不吉なことではありませんし、縁起でもない事ではないのです。
いつ死んでもおかしくないのですから。
子供に遠慮することでもないです。
自分の考えを堂々と言えば良いと思っています。
少し前の年代のお年寄りの方たちは、病気になったら治療は医者が決めてくれる。
死んだらお葬式をしてもらいお墓に入る。
お墓は子孫が守ってくれる。
自分の気持ちではなく、そうするのが、当然の事だとほとんどの人が思っていたのではないでしょうか。
これからの時代は、どのように人生を終わりたいのかという自分の気持ちや考え方を、元気なうちに周りの人々に伝えておくことが大切だと思います。
伝えておくことで、残された人が迷うことなく、また後悔しないように行動することができるのです。
死を間近にした従兄弟は、家族に向けて亡くなった後どうしたらよいかを、大学ノートに事細かに書き綴っていたというお話を聞きました。
エンディングノートを残されていたのですね。
葬儀の最中、「やるべきことは全てやったので後悔はありません。」とご家族はおっしゃっていました。
当然、寂しさや辛さはあるでしょうが、ご本人の意向どうりに全て行ったことで、ご家族には迷いがなかったのではないでしょうか。
伝えておくことは、残された人への優しさにもつながるのですね。
自分自身も思い残すことなく、自然に還ることができます。
さいごに:死んだら散骨してください
今回は
🌸自分らしい人生をかんがえるなら、自分らしい最後を考えることも重要です
🌸海洋葬にしようと思う一番の理由は、死んでから子供たちに迷惑をかけたくないという親心です
🌸元気なうちに自分の考えや気持ちを伝えておこう
というお話をさせていただきました。
このブログを書き進めるうちに、何年か前に話題となった秋山雅史さんの「千の風になって」という歌を思い出しました。
♪ 私はお墓の中にいません 千の風になって大きな空を吹きわたっています ♪
というような歌詞でした。
この歌のように、波に乗り遠いよその国へ揺られて行けると思えば、散骨でも寂しくもないし、悲しくもないなぁと思えるようになりました。
笑顔の遺影が一つあれば十分だと思います。ほかに何もいりません。
潔く旅立っていけるような気がします。
私も散骨で行きましょう ♪
そのことを息子たちに伝えましょう ♪
最後までお読みいただきましてありがとうございました。