
高齢化によって農業人口は減少し、離農せざるを得ない家庭が増えている。
“きつい、つらい、儲からない”という農業のイメージは消えることはないようだ。
若者たちの農業離れは進み、温室農家には後継者がいない。
そのため温室やハウスを営む地域でも、草木が生い茂り荒れ果てている耕作放棄地が目立つようになってしまった。
人の手が入らない土地(温室やハウス)はあっという間に手が負えない状態になってしまう。
義兄が病気になったことによって、私たちも離農問題に直面することになった。
農家を継続することの厳しさを目の当たりにしたのである。
義兄がガンになってしまった
2023年8月、義兄(以下、兄とする)の食道に5cmのガンが見つかった。
その時点ですでに食欲は低下する一方で、栄養状態は悪化していき体調はかなり厳しい状態だった。
もう農作業ができる状態ではない。
兄は農家の長男として生まれ、農家を継ぎ、ずっと温室農家を営んできた。
70歳を超えるころから体力の限界を感じ、仕事をセーブしていこうと考えている矢先だった。
ガンは大動脈に浸潤し始めていて、手術はできないと医師から告げられる。
極わずかではあるがリンパ節にも転移が認められ、放射線と抗がん剤治療の併用療法をすすめられた。
治療をはじめて2週間くらいは元気が戻ったものの、その後、体調は悪化するばかりで体力気力ともに奪い去っていった。
「家にいたい…病院に行きたくない…」
弱気な言葉が増えていく。
何が最善の方法なのか…家族も周りの者にもわからないまま時間だけが過ぎていった。
義理の姉の気持ち
兄が病気になってしまったことで、温室の仕事だけでなく、兄の介護までもが義姉(以下、姉とする)の肩に重くのしかかってしまった。
姉は20歳代で温室農家に嫁ぎ、およそ50年の間、農地を兄と二人で守り抜いてきた。
毎年、枝豆とトマトの栽培を手掛け、生活を営んでいた。
時は待ってはくれない。
枝豆は程よく実が膨らみ出荷のときを待っている。
トマトはたくさんの花をつけ、実を結ぼうとしていた。
手をかけてここまで育ててきたのだから、枝豆もトマトも枯らしてしまうのは忍びない…
できるなら出荷してあげたいという気持ちが強かった姉。
もちろん、兄の病気が落ち着き、仕事に復帰できることが何より一番の願いだが…
姉の気持ちは、二つの願いの狭間で揺れ動いていた。
このままでは姉までが倒れてしまう
姉はもう70歳を過ぎている。
腰が曲がり、両膝に痛みを抱える満身創痍のからだになっていた。
姉のこころと身体は疲れ果て悲鳴を上げる寸前だった。
姉一人だけで、温室と介護の仕事をすることは負担が大きい。
枝豆の収穫や害虫駆除にはかなりの力が必要なのだ。
兄夫婦には二人の子供がいるが、それぞれが農業以外の仕事についている。
農業だけでは生活していけない時代となり、農家を継ぐ者はいない。
いつかはこういう事態になることは予想はついていたが、実際に目の前に突き付けられるとどうしたらよいのか分からないもどかしい気持ちでいっぱいだ。
時代の流れとは言え一抹の寂しさを感じざるを得ない。
しかし嘆いてばかりはいられない。
この状態をどう乗り切るのかを考えなくてはならない。
力を合わせて乗り切る

とにかく周りの者たちで、力を合わせて乗り切るしかないだろう。
誰もが先のことを考える余裕もなく、兄が元気になって、また温室の仕事ができるようになるまで温室を守ろうという思いだった。
長男は、仕事の関係で県外に住んでいる。
土日に帰省し温室の仕事を手伝うことになった。
長女は、仕事の合間をぬって病院への送り迎えを担当。
そして、私たち兄弟も温室の仕事と、病院への送り迎えや付き添いをすることにした。
実を蓄えた枝豆は、根こそぎ抜き取って温室から作業部屋へ運ぶ。
その後、手作業で実の入ったさやだけ取りはずし、水で洗って泥を落としてから袋詰めして出荷する。
トマトは、収穫のほかに人工授粉や伸びたつるの固定、剪定、草取りなどやることだらけで猫の手も借りたいほどだ。
日中は温室やハウスのなかは暑くて作業していられない。
だから朝の涼しい時間帯が勝負である。
限られた時間に作業を終わらせるには人手が必要なのだ。
子どもたちや弟夫婦と姪、そして私たち夫婦がそれぞれ時間を調整し合って、温室の仕事や病院への付き添いを続けた。
願いは届かなかった
しかし、残念なことに私たちの願いは届かず、治療の効果はなかった。
日ごとに体力や免疫力が落ちていく兄。
やむを得ず治療を諦めることになった。
徐々に座っていることが辛くなり、歩くこともできなくなっていった。
そして2024年を目前にした暮れの12月28日永遠の眠りについた。
眠るように穏やかで静かな旅立ちだった。
前を向いていこう
年内に葬儀まで済ませることができ、新しい年を迎えることになった。
2024年、新しい年が明けた。
悲しみに暮れていても時間は待っていてくれることはなく、世の中の営みは途切れることなく続いている。
ぽっかり穴が開いたような気持だったが、時間だけは前に進んでいく。
トマトのつるは伸び、赤く実ったトマトは収穫を待っていた。
野菜は正直である。
あわただしい日が続き、手をかけられなかったトマトは品質が落ちてしまった。
そろそろトマトも終わりだろうか。
徐々に片付け作業もしていかなくてはならない。
会う人は誰もが皆、「美味しい枝豆が食べられなくなってしまったね…」と言う。
兄夫婦がつくる枝豆は、実がしっかり入っていて、それでいて柔らかく味がしっかりしていて美味しかった。
トマトは、皮が薄くて甘い。
遠くから買い求めに来てくれる人もいるほどなのだ。
喜んでくれる人がいるということはありがたいことである。
待っていてくれる人たちがいるということが、姉の気持ちを前に向かわせた。
「温室にいると、気が晴れる…」
温室のトマトと向き合うことで寂しい気持ちを軽くしていたのかもしれない。
元気でいられる間は、トマトと枝豆をつくっていきたいと姉は言う。
温室の仕事が生きがいになるのであれば、私たちは大賛成である。
しかしながら一人での作業には限界があるだろう。
広い温室やハウスをたった一人で切り盛りすることは大変なことだ。
そこで姉が元気でいられるように、できるだけ多くのサポートをしていこうと私たち夫婦は決めた。
私たち夫婦が週に1~2回手伝いに行けば何とかなるだろうと思ったからだ。
こうして姉、主人、私の3人で温室の仕事を続けていくことになった。
そして私たちは、春には枝豆の種をまいた。

あとがき
本日の記事では、私たちが農業にたずさわることになった経緯をまとめました。
温室の仕事を手伝うことになって、私が感じたことや考えたことをこれからも書き留めていくつもりです。
そして、これを機会に農業について考えていきたいと思います。
本日も最後までおつき合いくださいましてありがとうございました。
では、次回もお楽しみに♪